天乃タカ先生が描く、「もとあな」サイドストーリー、第三回の主役は、人気キャラクター、“天守のサメ”。キイチたちと本処(げんしょ)で会う以前、サメは、何を思い旅をしていたのか―――?
「もとあな」ファンページ「もとあな草紙」は、本編と同時連載で絶好調! 読めば「もとあな」ワールドが、さらに楽しく広がります。
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第三片
作・絵 天乃タカ
誰もが何かを護りたいと願っているお話の一つの小枝。
風が枝から枝へと渡っていき、木々がざわめいた。それはまるで人々の話す言葉のようで、少年が思わず振り向くと、森の中には誰もいなかった。生まれ育った里は、すでに木々の向こうに隠れてしまっている。
ガサリと枯葉を踏んだ音が聞こえた。里から僅かに離れただけの森の中はひどく静かで、そんな音さえも響く。足元を見れば、形の崩れた黄色く大きな葉があった。そうと気付けば、色づいた葉が青い空を背景に、くるくると回りながら散っていた。もう二、三日もすれば、実も落ちてくるだろう。
それを採りに、子どもや女性が森の中を歩き回ることを、少年は知っていた。それは少年も経験してきたことであった。けれど、いま、森の中はひどく静かだった。そして、今年は、木の実採りを経験していないことを考える。首から提げた羽飾りを意識せず左手で触るも、すぐに手を離すと、再び歩き始めた。
少年の体を包む白い外套が、尾を引くようにふわりと舞い、硬めの黒髪が揺れる。外套に隠されていた、腰にさした剣があらわになるのを隠すように、少年は外套の内側を押さえた。
先日、貰った剣は、成人した証しでもあった。
だから、この少年――サメのことを、『少年』ということは少し間違ってるかもしれない。見目はまだまだ細くとも、十五歳になり、『天守』に与えられている(誰からと聞けば多くは『世界』からと言うだろう)『契約』の役割を担う為に、里を出たのだ。里を出て、『契約』に付くこと。それは、天守としての『役割』だ。けれど、それは『貸本屋』や『本処(げんしょ)』と関わるということだった。サメは、それを考えるだけでも、うんざりとした。
どうして、と思ってしまう。
どうして奴らを守らなくてはいけない。
(アイツらは、師匠を、)
気付かず握っていた拳に、力が入る。爪が手のひらに食い込み、微かな痛みを生むけれど、どうでもよかった。心の中に広がる染みから、身を護るかのように、体を硬くした。そして、一つ吐息をついた。
首の羽飾りを触り、足が止まりそうになる。
契約で世界中を回ることは、経験を多く積み、情報を手に入れ、視野を広くし、役に立つことだと思わなければ、歩き続けることはひどく困難に思えた。
(ようやくだ……ようやくここまで来たんだ。)
サメは己にそう言い聞かせ、足を速める。
本当は、もっと早く里を出られると思っていた。
天守の人々は年齢によって組分けされ、与えられる役割をこなす。その行程の中で、サメのように十五歳で里を出て、契約に従事することは一般的だった。
『力』に秀でた者は、それよりも幼いころから里を出ることもあったが、それは稀だった。そして、それを望む者も多くはなかった。
地上よりも天を視、鳥と共に生きる天守は、巣である里への郷愁がひどく強く、里になかなか帰って来れない『契約』を疎んじている者のほうが多いからだ。
それでも、サメは切実に思う。
ようやく、だと。
幼い頃、いまよりも鳥と近かった時期があった。「さすが長の血筋」「長に直接、修行をさせてもらっているだけはある」そんなふうに言われてきた。けれど、呼び寄せた鳥は、鴉だった。徐々に力は衰えたのか。元からそれほどの力はなかったのか。あからさまに失望した顔をした者もいた。その中で、師匠である前長だけは、鴉は天からの遣い鳥だと、これからまだまだ鳥を呼ぶことができると、言ってくれた。
いまでは、その前長の子どもである杜のように自由自在に鳥を呼ぶことなどできはしないことは、はっきりとわかっている。多くの天守が使役できる鳥は一羽で、サメもそうだった。
その杜は十歳になる前に里を出ており、契約に従事することもなく、世界を巡っているという。長老や里の者の多くは、本処の研究者と関わって死んだ前長の件を考え、杜の行為を許しているようであった。それでも、天守の先頭に立つべき長がそれでいいのかと思っているのは、己だけではないことをサメは知っている。直に問い質したこともあった。
それにいつだって杜は笑うだけだった。
それがサメは、腹立たしい。
サメとて師匠のことを思えば、本処の為に働きたくはない。
それだけではなく、元々は天守のものであった『穴』を占領する本処や、貸本屋を護る『契約』を、不満に思う者も多いけれど、皆、昔から続く契約に従っていた。
(……皆はどこで折り合いをつけているのか)
遠く聞きなれた鳴き声が聞こえる。目を凝らせば、青い空に染みが付いたような、黒い鳥の影が見えた。それは、胸の奥にわだかまった想いが具現化しようにも思えた。
非力で役に立たない鳥。
杜との、歴然とした差。
大切な者を奪った者たちを護ること。
首飾りを握り締める。
歩き続ける足元で、かさかさと葉が鳴る。己の鳥である鴉の声が聞こえる。何かを伝えようとしているようにも思えたが、それを聞き分ける集中力がなかった。
(このしこりは……迷いじゃない)
だからこそ、見極めなければいけないことも、感じていた。
天守を護る。
天守のために生きる。
それだけを、考え続けていた。けれど、それは漠然としすぎていた。天守の為に、己がなにをできるのか、サメには見当もつかない。方法も行き着く果ても、具体的な何も、サメは思いつかなかった。
天守の多くは、生まれたときに決められ、死ぬまで一緒にいるつがいの為に(子どもを作ること、その子達を飢えさせないこと)、折り合いをつけているのかもしれないと、里を出るときに見た、つがいと寄り添っていた同年代の者たちの顔を思い浮かべる。
(それは、俺には、ないものだ……)
保温効果のある外套を体に巻きつけるようにし、空を見上げた。空には相変わらず黒い鳥が飛んでいる。空の高みからサメの姿を確認していたけれど、サメはそれに気が付かなかった。いつしか、サメの視線は黒ではなく、白い鳥を捜していた。
風が吹き、木々を揺らす。もうすぐ、大地や空気さえも凍てつく季節が訪れるだろう。木々は骨のような肢体を晒し、草花は枯れ、空は常に厚い雲が覆う。風は止み、時折吹いても乾いて大地を滑っていくだけの季節。多くが死に、天に還る。
子どもの頃はここまでひどくなかったとサメは思うけれど、長老たちは、遥か昔から徐々にこうなったのだと言っていた。天を支える『樹』を喪った為だと。己が生まれるよりももっと昔からずっとこうだったと思うと、いつだって背筋が冷たくなる。
(……あの子が天に還った季節だ……)
手の中で冷たくなっていった小さな手を、思い出す。黒い髪が白い敷物に広がっていた。その子の鳥は、ひどく哀しげに鳴き、遠くに飛んでいった。その白い鳥の影はまるであの子の魂を天に連れて行ったようにも見えた。
あれから、その姿を見たことはない。
影のようにいつでもどこからでも見える山が視界に入った。いつだって世界を見下ろしている山。そこには、天の欠片が落ちているとも聞いた。ジッと見ていると、白い鳥の影が見えたように思えた。慌てて見直すも、黒い影しか見つけられない。それが、何色の鳥の影なのか更に目を凝らすと、その鳥と視線が合ったように思えた。まるで、それが合図だったように、降りてきた鳥が、影のせいではなく黒色だと判別できて、視線を逸らした。
(……漠然とした、不安……)
それを振り払うように早足で歩き出せば、ふわりと鴉が肩に舞い降りた。重みがズシリとかかり、防御布をしていも爪が皮膚に僅かに食い込んだ。木々がざわめき、鳥の声が聞こえた。鴉が様子を伺うように、小首を傾げる。真っ黒い小さく丸い瞳に、木々の影が映っていた。枝はしなるほど、風を受けている。まるで季節外れの嵐のようだった。
「雨、」
風に混じって聞こえた声は、ひどくのんびりとしており、沈んだ思考が滑稽にすら感じられるほどだった。サメの足先に当たった早熟な硬い木の実が転がり、木の葉の向こうに消える。一、二歩進むも、結局、立ち止まった。
「モリ」
声をかけてきた者の名を呼び、ゆっくりと振り向いた。そこにいたのは、予想通りの人物―――今朝の儀式にすら顔を出さなかった若い長である杜だった。風の音がひどく煩い。
「他の子らはどうしたんじゃ?」
白い髪が風に揺れていた。木々の緑の中で、その色はひどく目立つ。そのくせ、声をかけられるまで、その存在に気が付かなかったことに、サメは小さく舌打ちをした。
「他の奴らは、つがいとの別れがあるから、明日の朝、発つだろうが」
明日の朝になれば、つがいとのしばしの別れに、多くの涙が流れるだろう。それは毎度のことで、そんなことも忘れたのかと、サメが赤い瞳を睨み付ければ、そんな視線に気が付かぬのか、うんうんと杜は納得顔で頷いていた。「よかったよかった。日にちを間違ってなかったのぉ」と呟いているから、明日の見送りに合わせて帰って来たと知れた。うんざりとして、そんな杜を再度睨みつけるも、効果はないので、サメは大げさに吐息を付いた。
つがいのいないサメに外套を渡してくれた長の妻であり、サメの姉である人は、「しょうがない人なのよ」と首を振っていた。その細い体の前と後ろには、眠ったままの杜に良く似た子ども二人がくくりつけられていた。まるで、重石のようだと、サメは感じたことを口にはできるわけもなく、曖昧に首を振ったことを思い出す。
「雨もゆっくりしてもよかったんじゃよ」
そんな言葉にも、思いっきり眉間に皺を寄せるだけに留めておく。
「どうしたんじゃ、元気がないのぅ」
いつもののんびりとした口調に、いくら慣れていると言っても、ひどく腹立たしくなった。幼い頃から長老に育てられたにしても、外見を裏切るような老人のような口調はからかわれているようにも、サメには思える。
「お前が無駄に元気なだけだ。いつまでフラフラしているつもりだ! 長にもいろいろと仕事はあるだろう! おまえの代わりに双子の面倒を見るのも今日限りだからな! だいたい、そんなんだから、他の奴らがお前のことを、」
そこまで一気にまくし立てて、さすがに言葉を飲み込んだ。
「雨は優しいのう」
「おまえ……!」
最近ようやく低くなった声が更なる風を起こしたように、木々がざわめいた。けれど、それだけではない気配に、サメが周りをそっと見れば、幾羽もの鳥が枝に止まって、向かい合った二人を見ていた。鳥と共に生きる天守であることを自覚しているサメですら、一瞬息を飲むほど、異様さだった。
サメが固まった様子で、周りを見渡した杜は驚くこともなく、自然に笑う。
「あぁ、悪いの。この子らは頼んだことを知らせにきてくれたんじゃろう」
杜が一つ手を振ると、幾匹もの鳥が杜を覆い、体格のいい姿があっという間に幾つもの羽の向こうへと消えた。羽音が鳴り、羽が舞う。これほどあからさまに多くの鳥を呼び寄せている様子を見たことはなかった。それは確かに異様な光景で、サメは動くこともできず、ただただそれを見ていることしかできなかった。
(なにか……あったのか……?)
ようやくそのことに考え付き、動かぬ足を無理やり一歩踏み出せば、ガサリと枯葉が大きな音を立てた。肩の上で鴉が、驚いて羽ばたいた。途端、杜の周りの鳥も、一斉に羽ばたき、空へと舞い上がった。
サメはようやく息をつきつつ、じろりと鴉を睨むと、逃げるように他の鳥を追いかけるように空へと飛んでいった。そのまま追いかけて杜が何を調べているのか調べて来いと睨んだサメの思いが伝わったのか、鴉の姿は視界から消えた。
「さて、」
まるで、サメと同じく鴉を見送ったように杜が仕切りなおす。
「行くんか」
「当たり前だ」
あっさりと言うと、同じくらいあっさりと踵を返した。
(そうだ、立ち止まっていられるか)
それくらいならば、わからずとも、走り続けなければならない。脚を止め、妥協すれば、取り返しが付かない事態になることを、サメは嫌というほど知っているつもりだった。
腰で剣が揺れる。遥か昔に喪った羽が、剣になったのだと聞いた。だから、天守は剣を持つ、剣士としての役割を担っていると。けれど、羽と違い重いそれは、常にその存在を誇示し、その意味を問いかけるようだと思えた。
―――この剣で斬るものは、そして護るものはなんだ、と。
「雨、」
背中からかかる声を無視し、柄に手をかけて歩き続ける。
「おまえは、わしの弟と同じようなものじゃ。そして、『天守の眼』を持っておる」
(それは、師匠の、最期の、)
剣にかけていた手で、首飾りを掴んだ。杜はあまりにも自然と心の奥にあるものを見極めてくる。それがひどく憎らしい。
「だから、言うておくよ」
その言葉に、サメの足が止まった。風が轟々と吹き始め、木々がざわめき、杜の声を掻き消すようだった。木の葉が舞い上がって空へと昇っていく。目には見えずとも、風が空へ昇っていくと聞いたことを思い出す。小さく弱弱しい手で握り返し、あの子はそう言っていた。
天守の羽が起こす風は、天まで届くと。
そして、天からの声を届けると。
(それならば、)
天にいるはずの人たちの声を聞かせて欲しいと思った。
「『キ』に気を付けておいてくれの」
風音に紛れて聞こえた思わぬ言葉と、聞いたこともないような杜の声に、サメはとうとう立ち止まり、振り返った。首飾りを握り締める手に力を入れれば、心臓が早鐘が打っている音が聞こえた。
「……それはどういうことだ」
杜は、ひどく真剣な表情をしていた。それは今まで見たことのない表情だった。赤い瞳は、ヒトとも思えない。その気迫に押されぬよう、サメは杜と向かい合った。
「天守の伝承を知っておるじゃろ。」
色素の薄い顔は、まるで生きていない者のように、見えた。幼い頃、弔いの夜に見た長の顔を思い出す。
「『キ』じゃ。」
『キ』という存在。『キ』は『気』や『樹』、そして『鬼』に通じる。いまこの世界は、それがない為に、均等を崩し、そして壊れていっている。もうすぐくる季節が空気さえも凍てつくようなのは、そのせいだとも。
(鬼……だと?)
見返した杜の瞳はひどく落ち着いていて、嘘を言っているようではなかった。むしろ、力強さすらあった。そして唐突に、それが今まで杜が里をよく空けていた理由の一端なのだと、確信する。
(キ―――鬼を見つけること、)
『鬼を見つけること』それは、子ども頃ならば誰しも聞かされる世界創造の御伽噺の最後に付け加えられることだった。すっかり忘れていたことにこそ、サメは驚く。
(あぁ、そうだ。それが我ら天守の使命)
『キ』が有るとき、天守の羽が必要だという。
だから、『鬼』が再び在れば、羽が戻る。
そして、天に。
(……天に、)
幾つかの想いが渦巻く。漠然としたものが、形を取り掛けていた。その形を見定めるように、サメは杜を見返した。予想とは異なり、杜は表情を緩め、ゆるりと笑った。
「『気』をいつも感じておいてくれの。雨はわしよりも、はしっこいからのぅ」
いつも通りの能天気にしか聞こえない笑い声に、今までとは違う意味で、癇に障った。まだ何か隠していると、先ほどの鳥の大群を思い出す。サメだけではなく、多くの天守が知らないことを、杜が背負っていてなお笑っていると、サメは悟った。
杜は独り、真実にひどく近い場所にいる。
(いつだって……いつだってそうだ!)
ギッと睨み付けると、異端である赤い瞳を睨み付けた。
「アンタが無神経なだけだろう!」
そして、踵を返して歩き出した。一歩二歩遠ざかっていく。このまま里の外に出て、近くの本処へと赴く。そこにいる年長の天守の指示に従い、貸本屋を護衛する役目を負うか、本処を護ることとなる。
(俺は、本処の奴らなんて護りはしない……天守の使命に従い、天守の為、『鬼』を捜すために世界を回る)
そう決めた。
途端、先ほどまで心にわだかまっていた黒い染みが一気に遠のくように思えた。首飾りを握り締め、前を向いて歩いていく。先ほどよりも色彩が強くなったように思えた。腰にさした剣の柄を握り締める。
(これを使うのは、天守の為だけだ)
赤く染まった木の葉が敷き詰められた中を歩いていく。
これが生きる道だと、はっきりと感じた。
師匠の死さえ防ぐことができなかった己の。
つがいを護れず死なせ、天守の血を繋げない己の。
「雨、」
ひどく静かな声に、振り向きはしなかった。二度と振り向くつもりはなかった。杜がなにを考えているのか知らない。どうせ言わないのだ。それならば、知りたくもなかった。それでも、足元でかさりと鳴った音に混じって、杜が発した言葉が聞こえた。
「……若長ともあろうものが、それが旅立つ者への祝辞の言葉か」
遠く黒い鳥の鳴き声が聞こえた。空に向かって手を伸ばせば、旋回して降りてくる黒い影が視界に入る。失敗したなと呟くも、落胆してはいなかった。真実は簡単に知りえることができなくて、当然だ。
(それならば、)
地面を蹴り上げ、落ち葉を舞い散らし、一気に走り出す。
風を頬に耳に感じながら、杜の言葉を脳裏で繰り返す。
―――― わしらががんばらねば、世界は滅ぶ。
それならば、それを食い止めるために、走るだけだった。
鬼を捜す。そして、伝承通り、『鬼』を『穴』に放り込み、羽を取り戻し、世界の真実を見極める。
サメは、決意を胸に秘め、走り続けた。
杜の言葉を現実にしない為に。
(天守の為に)
天守を護ること。
それだけだった。
それだけしか、なかった。
残された杜は、サメにかけた言葉をもう一度呟き、踵を返した。木々が、まるで不安がるようにざわめくから、慰める歌を詠いながら歩いていく。鳥がそれに合わせて啼き出した。
「ねえ、元太郎さん、誰かの歌が聞こえるわ。」
「そうか?」
そして、誰もいなくなり、森はひどく静かになった。
しばしの沈黙。
そして、世界は動き出す。
おわり
○次回の更新は、12月の中旬予定です。お楽しみに。
(C)2007 Taka Amano